功労機Q400

第一線を退いたJACのQ400。ひっそりと鹿児島空港を離れる日を待っているんだな。

 宮崎IN、鹿児島OUTの仕事の最終日。鹿児島空港の外周を歩いた。時代に求められ、時代から捨てられていく。新しい世代に活躍の場を譲るのは、人の世と同じ。取材で数回搭乗した程度でそれほどの思い入れはないけれども、鶴丸マークやロゴが白で塗りつぶされたJACの功労機とも言えるQ400に思いを馳せてしまった。

 都合により退役セレモニーが行われなかったのは、不運としか言いようがない。

鹿児島空港のRWY34を力強く離陸していくATR社製1,500機目の節目となったATR-72-600。発注済みのATR42-600からこの1機だけ発注変更され10月に納入されている。

 JACはATR-42-600を5機、このATR-72-600を1機を運航している。あと3機のATR-42-600が納入予定だ。ATRは天草エアラインのみぞか号しか登場したことないけれども、乗り心地はジェット機並みに安定している印象だった。日本のコミューターターボプロップ機はATR一色になるか。同じJALグループの北海道エアシステム(HAC)もATR-42-600を3機発注しており、2020年からの運航を予定している。

もう一つ功労機、SAAB430B。おそらくアーク塗装機の最後の生き残り、JA8900。元気に鹿児島空港を飛び立つ。

 大学時代(1992〜1996年)は鹿児島空港をホームグラウンドに撮影していた。その当時のJACの主力機はYS-11だった。ちょうどその頃デビューしたのが、SAAB340Bだ。YS-11に比べて明らかに小さな機体だったが、日々力強く飛ぶ姿をカメラで追っていたのが懐かしい。この日、目の前を離陸していったのは1996年1月から飛び続けているJA8900。私が写真の世界に飛び込んだのが1996年4月だから、ちょうど同じような長さの人生、機生を送ってきた同期のようなもの。しかも、おそらく全機種を通じて最後のアーク塗装機ではないか。きっとこの塗装のまま役目を終えてJACを去ることになるだろう。

 羽田空港と並んで私のヒコーキ撮影の原点とも言える鹿児島空港での半日。それぞれの背負った運命や宿命、生き方を考えずにはいられなかった。ターミナルから時計反対回りで鹿児島空港の外周を躊躇なく1周歩きながら撮影したのも、学生時代に抱いていた夢や憧れ、意志や希望を再び蘇らせたかったからかもしれない。いまさせていただいている仕事は、当たり前のことではない。様々な人の支えや応援、もちろん自分自身の努力やチャンスを逃さなかった力量による部分もあるが、同期とも言えるヒコーキが引退間近であり、スポーツ選手ならとっくに引退して現役を退き、サラリーマンならば第一線の現場から管理職へと変わるこの年齢の私が、今後ますます円熟味を増してヒコーキ撮影や取材の第一線で生き続けるための覚悟、決意、意志。それを確かめたかったのかもしれない。

 とにかく、歩いていて苦になることはなく、むしろ楽しく清々しい気持ちしかなかった。なんの曇りもない、クリアな気持ち。これこそが私の生き方なんだと心からそう思えた。

JACの功労機、そして希望に満ちた新機材から、多くの気づきをもらえた気がしている。また、今度はじっくりと鹿児島空港で撮りたいものだ。