自粛、ではなく本来なら自重か

昨日は千葉県市原市で撮影があって昼前には撮影を終了。さて、羽田か成田か。千葉県にいることもあり成田へ下道で向かった。

単にヒコーキを撮りに行こう、と気軽に撮影に行ける状況ではない。

空港へ行くこと自体、新型コロナウイルスの感染拡大につながる恐れは十分にある。

「外周ならいい」という気もするのだが。

そこは「いまあえて撮影に行く必要があるか」という軸足になるのかなとも思う。

菜の花はいま満開ね。菜の花が咲いていても、いつも通りの写真を撮りに、いつも通りの撮影ポイントへ向かった。

目的があったからね。

世の中「自粛」「自粛」というワードが溢れているけれど、本来は「自重」かな?、なんて屁理屈を考えていた。

なぜならば「自粛」って他人からの評価を気にしていることだもんね。意味からすれば。他者からの批判を受けたくないから「自粛」します、だからね。

「自重」は他者からの評価、目線は関係なく慎重に行動することだから。言葉って意味が深いね。

基本的には不要不急のヒコーキ撮影には行かないようにしている。ただ、写真を常に求められているプロは「自粛」もしくは「自重」している場合ではない時もある。

必要な写真は常に撮りに行く。「遊びや楽しむため」に撮っているわけではないからね。

でも、だからと言っていま現在「楽しんで撮っている」人たちを批判するつもりはない。そういう人たちに苦言を呈する心境でもない。

皆さんマスクをしたり、行動には気をつけているのが十分に伝わるし、最終的には自己判断で構わない。

「自粛」するにせよ「自重」するにせよ、自ら決めればいいこと。

「空港へ行くのを自粛しよう」「撮影はいまはやめておこう」「遠征するのはしばらく控えよう」という呼びかけ、行動も「外出禁止令」が出されていないいま、個人の判断に委ねられている。

SNSなどで「いま撮る必要があるのか」「いま空港へ行って撮る人の、、、」などの意見も散見されるが、そのご意見もよくわかる。

地方の方からしたら都会の人の行動に疑問を抱く人もいるだろうし、そもそも「地方」と「都会」という大きすぎる括りで語るのも無理があるし、立場が変われば思うこと、言いたいことも違うよね。

公立学校の休校問題だって、世の中の母親はそろそろ疲弊していると思う。うちがそうだからね。

それと同時に子供たちだってストレスが溜まっているわけで。

各家庭という小さな点で考えるか、都や県という社会規模で考えるか、国単位で考えるか。

その規模によって物事の判断基準は変わってくるのかもしれないが、各家庭の点の集まりが街であり区であり市や県な訳だから、行政単位だろうと国単位であろうと原点は同じなんだよね。

「自粛」「自重」だけしていたら新型コロナウイルスの直接的疾患ではなく、経済的疾患で死を迎えてしまうことだってあり得るこの状況をどう乗り越えていくか。

国もいろいろと考えていると思うけれども、案外時間的猶予はなさそう。

非常にセンシティブな問題だけれども、いかにヒコーキを何の気兼ねもなく思いっきり撮れていた状態が幸せなことだったか。痛感する日々がまだまだ続きそうだ。

Aランの着陸機狙いだったけれど、50分以上待ちぼうけの時間帯があったから、便数の少なさは実感したよ。4月からはさらに減る見込みだから、さみしい限りだ。オリンピックの延期は予想通りだけれど、インバウンドを見込んでいたものが総崩れするわけで、経済が心配。

オリンピックを商機と捉える事は当然のことだし、それを見込むのも当たり前だったと思うが、こと此の期に及んで何を感じ、何を学ぶか。どう今後に活かすか。大事なことは何なのか。それぞれの役割や立場の違いはあれど、見えてくる気がする。

ただし、その前に経済的に疲弊して倒れないようにしないとね。

いろいろあるけれど、頑張ろう。

いろんな意見もあるけれど、それぞれ精一杯頑張ろう。

カタールのA350-1000が来ていると教えていただいたので、この日の撮影の締めにBラン側へ行った。

夕陽を浴びたそれは、とても美しかった。