我流でいける難しさ

音楽の第一歩は、楽譜に描いてある通りに弾くこと。書道にも空手にも、ダンスにもお手本がある。ゴルフもかな。我流では伸びにくい。まずは基本が大事になる。

写真はどうだろうか。写真の基本って何だろう。

広告写真スタジオ時代には「複写」が基本だと教わり、絵画やポスターの「複写」を4×5(シノゴ)の蛇腹カメラでしっかり撮れるように頑張っていたものだ。

写真だけ特別扱いする気はないのだが、日本人には特に写真を撮る感覚、能力が本能的に弱いのかもしれない、なんて思っている。

練習して上手くなるのものなのか?

芸術ってそもそも練習という概念なのか?

鍵盤を押せば音が出るピアノのように、シャッターを押せば写るのがカメラであり、写真だ。

ポジフィルムではラチチュードが狭かったこともあり、印刷に適した写真が撮れるだけで特別な能力とされていたが、いまではデジカメのカメラ任せでもそこそこの写真が撮れてしまう。

そう、この「そこそこに撮れてしまう」のが罪なことなのかもしれない。現像のスキルではなくて、まずは「撮る」ことの話だ。

我流で突き進もうとすればできなくもない。成績や順位がつくわけではないから、相対的結果が明白な世界ではないからね。

しかしながら撮影を発注する立場の編集者やディレクターは見抜いているかもしれない。あの人よりあの人の方が写真が上手いって。しかしながら、写真が上手い=売れている、もしくは求められている写真家か。

そこのイコールが常に成立すれば、クリアなんだろうけどね。そうとも限らないし、当然その通りな部分もあるともいえるから難しい。

要は、安心感、なのだろうと理解している。

「あの人に頼めば、安心」。

これが大きい。

写真自体は我流で突き詰めて上手くなっていく人、のし上がっていく人、世に売れていく人、人から尊敬されてる人になっていく場合もあると思う。

ところが、挨拶であったり、物腰であったり、人柄であったり、節度をわきまえているであったり、周りをよく見ているであったり、周りに迷惑をかけないであったり。

いわゆる現場で必要な力、現場力。

そこはね、ある程度失敗したり、揉まれたり、悔しい思いをしたり、ある時は強引に突き進んだりと、人間力の差が出てくるんだよね。

どこで磨かれたか、どこで磨いたか。

目に見えないことだからなかなかわからない部分なんだけれど、この磨き、の有無は大きな差となる。

ある程度我流で突き進めるだけに、この差を知らずに突き進むと、エライ目に合う場合もある。

どの世界でも、生き続けることはたやすいことではない。

そういえば先日、初めてボーイング737-600を見たよ。-200、-400、-500、-700、-800、MAX8の撮影経験にまた一つ加わった。

MAX8で思い出したが、いまではシルクエアの737MAX8に搭乗してシンガポールへ行ったことが、貴重な体験となってしまってるけどね。