写真論

RAWかJPEGか。その主張も議論も意味はない

そう思うようになったので最近の投稿には「JPEG撮影」や「RAW撮影」と書くのをやめた。思えば、どなたか忘れたの「現像に依存しすぎ」というキーワードを目にしてからJPEGでの撮影も積極的に試みて早1年以上経った。私なりの段階での結論を書いておこう。

まずは下の写真を見比べてほしい。ヒコーキだと質感があるようでない写真でも十分綺麗見えてしまうので、つい先ほどの事務所から見た「イマソラ」的写真で解説したい。

上がJPEG撮影で下がRAW撮影から現像したものだ。

写真の構成要素は、色(色域)、トーン(コントラスト)、ダイナミックレンジ、シャープネスなど様々あるが、JPEG撮影した写真データは「カメラメーカーが作った」色再現、トーン再現、ダイナミックレンジ、シャープネスということ。

「JPEGで十分だ」=「カメラメーカーが作った」色やトーン再現で十分私の感性は満たされましたと同義なり。

実際私もRAW+FINEでの撮影を重ねてきて、「JPEGで十分だ」というケースは少なくない。

ただし私の場合、ヒコーキ写真においてはヒコーキに目一杯迫る迫力写真が信条であるため、ヒコーキそのものの質感再現が生命線とも言える。

ピントはもちろんのことながら、まるで触った感覚まで伝わるようなヒコーキ写真が撮れれば本望だ。

そのスタンスで言うと、「カメラメーカーが作った」色もトーンも悪くはないが、まだまだその先の世界を表現したいんだ〜!!と叫びたくなる気持ちや思いを、現像に託している。

そこで必ず出てくる考え方が、写実性か芸術性か。

まさかJPEG撮影したものが「見たままに近い」写実性を満たしている、などと思っていないだろうね。まさか、ね。

同じJPEG撮影した写真データでも、フラッグシップのそれと入門機のそれとは比較にならないぐらい、入門機の方が彩度が高く派手めな印象で、フラッグシップはそれこそ、「JPEG撮影のデータでもある程度は仕事レベルでもいけるな」というとレベルのいいデータを作り出してくれている。

写真というものはカメラが撮るものでなく、あくまでもその撮影者の目を、心を、脳を通して表現される以上、色々な考え方や捉え方、表現の仕方があっていい。

もっと言えば、ド本気講座でもテーマにしている「いい写真とは」という大命題があるが、本来写真の良し悪しなどない。人ぞれぞれがいいと思いものを、いいと思うように表現できる素晴らしい手段なのだ。

と、何やら矛盾しているようなことを書いているじゃないか!と突っ込まれることを承知で書いているのだが、好きなように撮って、好きなように楽しめればいい。

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