見たままを撮るのだけが、写真なのか


今回はかなり踏み込んだ

写真持論を展開する

ヒコーキ写真に正解はあるのか

の回にはたくさんの反響をいただいた

写真は語るものではなく見てもらうもの

だが、いつも気になっていることがある

それは以前から書いているが

「撮って出しです」

「JPG撮影です」

「現像で盛ってますが」

といったフレーズだ

実はここに

写真が大きく変わる分岐点があり

とても大切な写真論が潜んでいる

さて、まずは下の2枚の写真を見てほしい

言わずもがな

上が現像して仕上げた作品

下が撮影したままのRAWデータを何もせずに書き出したものだ

これを見て、何を感じ、何を思うか

「これはやり過ぎだろう」

「これは凄い!」

もしくは

「いったいどうやったらこうなるのか」

ではこれらの写真はどうだろうか

仕上げた作品

元のRAWデータ書き出しのみ

撮影時、傾いている(笑)

もちろん、傾きも補正する

肝はこの夕暮れショットの2枚とも
この仕上げを想定して撮っている

ということ

もっと言えば
その仕上げのために最適と思われ露出で撮っている

「露出の決め方がわからない」

とよく質問を受けるが

実はその答えは、ない

何故ならば

仕上げの想定があってこその
露出だからだ

エアカナダの787-9

↑こう仕上げたいから

↑この露出で撮る

このANAのトリプルも同じ

↑こう仕上げたいから

↑この露出で撮る

↑こう仕上げたいから

↑この露出で撮る

↑こう仕上げたいから

↑この露出で撮る

元のRAWデータを見せたがるプロなどいない

そういった意味ではクレイジーなブログだが

ボクは基本的になんでもオープンだ

真似してもらって全然構わない

もちろん、批判や反論も同じ

ここで一つ重要なこととして

上記の仕上げた写真は

DxO PhotoLab

という現像ソフトを使用しているが

現像パラメータでできる範囲のことしかやっていない

つまり、Photoshopでマスクを切って部分修正したり

いわゆるレタッチはしていない

では、写真とレタッチ(画像処理)の違いは何か

それは、写真でできる範囲のことかどうか

それに尽きる

現像パラメータでできる範囲で仕上げたものは、あくまでも写真だ

Photoshopでマスクを切ったり調整レイヤーとブラシを使って

部分的に修正していくのが、レタッチ(画像処理)だ

そこの線引きを曖昧にしてはならない

ただし、ゴミ取りはレタッチとは思っていない

いくらものすごく美しい写真でも

ゴミがあったら台無しだからだ

そして、最後に一番言いたいこと

写真は目の前に展開されている世界を

単に切り取るだけの行為ではない

そこに感じる光

再現したい世界

自分ありの味付けをしっかりして

世に送り出すべきだ

「フィルム時代にはシャッターを押すまでが

我々フォトグラファーの仕事だった」

ともっともらしくいい

JPG撮影に徹している方もいるようだが

それなら一生フィルムで撮っていればいい

デジタルの可能性を

はなから否定しているようでは

あまりにもさみしい

シャッターを押す瞬間までは、アナログ

シャッターを押した瞬間から、デジタル

そこをしっかり認識して

撮影プラス現像を一体にしていくことで

写真の世界というのは広がっていく

そうすると

普通なら見過ごしてしまいそうな
わずから光と色彩も

見事に鮮やかに命を引き込まれて

見うものを惹きつける写真として
世に羽ばたいていく

そういう観点と思考回路からすると

「現像で盛っている」

という表現はナンセンスだ

見たままを撮るのだけが、写真ではない

とボクは考えている

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